どうも! 吉田航基(@hiyoko_tabi)です。
今回は、愛知県清須市のお城「清洲城」に行ってみたので、その魅力に迫っていきます!
名古屋城の陰に隠れて、なかなかスポットの当たらないお城ですが、実は歴史上の大イベントに何度も遭遇した由緒正しきお城だったりします。
清洲城の場所とアクセス
「清洲城」は愛知県の清須市というところにあります。
名古屋市の隣にあって、毎日通勤する人のベッドタウンになっています。

車の場合 名古屋駅から下道で10分ほどです。無料駐車場もあります。
電車の場合 名古屋駅から清須駅まではたった2駅、およそ5分で行くことができますよ。
今回僕は、有名な名古屋城を超えてわざわざ清洲城まで2時間ほどかけて行ってみました。
清洲城観光で知っておくべき歴史
実は織田信長が10年間(1555年-1563年)実際に住んでいたのがこの清洲城です。
当時の清洲は尾張の中心都市でした。名古屋はまだ一面の平野が広がっていた時代です。そんな信長の城として栄華を誇った清洲城は、江戸時代に入ると徳川家康に取り壊されてしまいます

今回はそんな「清洲城」が取り壊されるまでのドラマを3つに分けてご紹介していきます。
① 1560年 桶狭間の戦い
実は織田信長が「桶狭間の戦い」に出陣したのがこの清洲城です。

それに対して織田信長は、清洲城の天守で敦盛(幸若舞)という舞を舞って出陣します(人間五十年。下天のうちを比ぶれば…の一節で有名)ちなみに1563年には徳川家康と織田信長は同盟を結ぶことになりますが、その舞台も清洲城です(清洲同盟)
② 1582年 清洲会議
実は2013年のドラマにもなった「清洲会議」の舞台も、今回の清洲城でした。

何日経っても会議は進まず、信長の次男と三男が「俺が後継者だ!」「いやいや俺だ!」とそれぞれ譲りません(長男は本能寺の変で自決)会議の終盤に突然、豊臣秀吉が「あいだをとって信長の孫(三法師)を後継者にすればよくね?」といってとりあえず話し合いはまとまります。
実は秀吉は会議を途中抜け出して、子供の三法師を手懐けていたという説もあります。信長の草履を温めていた時代から全く変わらない抜け目のなさですね。明智光秀を討ち、さらにこの清洲会議をまとめたことで、時代の流れは秀吉に移っていくことになります。
「清洲城」の3階にある展示室には、そんな清洲会議が開かれた当時の資料や、数々の大河ドラマの資料や衣装がたくさん展示してあります。
③ 1610年 清洲越し
このように尾張の中心としてたびたび歴史に登場してきた清洲の街なのですが、突如歴史の表舞台から姿を消します。
その原因は1610年、徳川家康が「名古屋に巨大都市つくるわ」と発言したことによります。

水害に強く、大阪の豊臣家(5年後に滅亡)とも戦いやすい名古屋に、清洲の街をそっくりそのまま引っ越す計画です。当時の歌の中には、このような一節が残っています。
「思いがけない名古屋ができて 花の清洲は野となろう」
嘘みたいな話ですが、本当に数年で名古屋に清洲のほとんど全てが持っていかれました。

下の写真は清洲城の天守閣から見た、今の清洲の街並みと遠くに見える名古屋のビル群です。かなり近いのが分かりますね。
そんな清洲城のはかなげな最後が、最大の魅力の一つでもあります。
清洲城観光はまず大手橋から!
まずは外から見た清洲城をご紹介していきます。
まず清洲城には五条川にかかる大手橋を歩いていきます。

入り口は16時半までなので、時間に余裕を持って門をくぐりましょう。
清洲城の中には素敵な日本庭園があるので、散策を楽しむことができますよ。
それでは中に入っていきます。入場料は大人は300円、子供は150円です!駐車場や天守閣で料金はかからないので、清洲城観光の唯一の出費です。リーズナブルですね〜笑。
清洲城観光のメイン、城内へ!
さて、それでは清洲城の中に入っていきましょう!
清洲城は5階建で、1階から3階までは資料や展示が並んでいます。展示は資料だけではなく、城の設備や等身大の人形などもたくさん置いてあって非常にユニークです。城に攻めてくる敵に頭サイズの石を落としている足軽も頑張っています。
4階はなく、5階は天守閣と平成元年の再建時の資料が飾ってあります。奥には金ピカの信長像もありますよ。
扉から外に出ると、現在の清洲の街並みが一望できます。
五条川と朱色の大手橋がキレイです。名古屋から少し離れているので、とってものんびりした景色です。人もそれほど多くないので一人旅でも旅行でも、非常に落ち着いた時間を過ごすことができます。300円分の価値は絶対にあります。
清洲城観光の周辺おすすめスポット
以上清洲城の歴史と見所をご紹介させていただきました。
しかしせっかく清洲城に来たなら、周辺観光もして欲しいです!実は徒歩圏内にいくつかの観光スポットが存在します。まず近くに設置してあった地図を貼っておきます。
先ほどの大手橋を逆に進んでいくと、「清洲ふるさとのやかた」という休憩できるお店があります。中にはトイレや休憩所、郷土資料などの展示があるので、つかれた方はこちらで休んでいきましょう。
大手橋の下を歩いていくと、信長公の銅像のある公園があるらしいです!そちらも散策に行ってみることにしました。パワースポットになっているらしいので、パワーをもらってきます。
お城から5分の公園には妻・濃姫(帰蝶)に見守られる信長公の銅像があります!
清洲城の中は本能寺の変の後である清洲会議の資料が多かったので、やっと清洲の人の信長愛を感じることができた瞬間でした。
近くの石碑には桶狭間の戦いに出陣するときに信長が舞った敦盛の一節が刻んであります。「人間五〇年〜」のやつですね。僕の年代だとなぜか戦国鍋を思い出します。
清洲の見所がすべて徒歩数分で行くことができるので、名古屋観光の合間に楽しむにはもってこいの場所ですね。
歴史好きには清洲城観光がおすすめ!
いや〜今回の清洲城は、思っていたよりも何倍も楽しむことができました!
とにかくコスパが最高でした。皆さんにもぜひ清洲城まで足を運んでいただけたら僕も最高に嬉しいです。

